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「ヴィジュアル系バンドから宇宙科学に至るまで」──編集者・水島七恵さんに訊く、仕事の原点とあゆみ 前編

フリーランスの編集者として活躍する水島七恵さん。JAXAの機関紙『JAXA’s』、フリー冊子『tempo』など、現在は領域や媒体を問わず、企画・編集ディレクション・コピーライティング・執筆、空間キュレーションなどを行っています。
2023年8月に開講するSPBS THE SCHOOL「編集のレッスン <第2期>」は、水島七恵さんをナビゲーターに迎えます。各回では、衣服のデザイナーや科学者、音楽家など「編集者」とは異なる生業で活躍するゲスト講師陣によるレクチャー、ナビゲーターとの対談などを通して、あらゆる領域で応用可能な「編集的思考」を学びます。開講にあたり、水島さんに編集者としての歩みや仕事観、編集の持つ無限の可能性について伺いました。前編では、ヴィジュアル系バンドのコスプレをするほど音楽に熱中していた10代から、フリーランスへの転換、JAXAとの出会いなどをお聞きしました。

ヴィジュアル系バンドにハマり、音楽の仕事を志した学生時代


──さっそくですが、水島さんが編集の仕事に就くきっかけや原点を聞かせていただけますか?

水島さん:原点は10代にさかのぼりますが、私は音楽と雑誌が大好きでした。実は当時、アトピー性皮膚炎によって肌がすごく荒れていたことをきっかけにいじめにあっていたので、学校に居場所がなかったんです。それでも仲の良かった友だちが好きなバンドをオススメしてくれて、音楽に夢中になっていきました。

──音楽が心の支えになったんですね。

水島さん:学校に居場所がなくても、音楽が自分の居場所になっていましたね。そんななか、その頃は雑誌が世間を動かす影響力を持っていた時代で、大好きなバンドの情報を得るための手段もまた雑誌でした。そこが編集者に向かう根源的な原点です。

──どんなジャンルの音楽が好きだったんですか?

水島さん:当時はヴィジュアル系バンド全盛期で、私はBUCK-TICKやLUNA SEAが好きでした。意外だと思われるかもしれないですが……コスプレもしてたんですよ。笑 私設ファンクラブの隊長として、髪を立てて黒服を着てライブに通っていたほど大好きでした。

──たしかに、いまの水島さんの佇まいからすると、ちょっと意外です!

水島さん:そうですよね。でもその頃の自分のアイデンティティや経験が今の仕事をする上で生きていると思います。

──雑誌が好きだから出版社に入ろうと考えたんですか?

水島さん:いえ、当時は雑誌の編集者になりたいとは全然思っていなくて、レコード会社に就職するために動いていました。その一環でCRJ TOKYOという、学生がインディーズバンドなどを取り上げてラジオで流すカレッジレディオに参加したのですが、CRJ TOKYOを運営しているのが、東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)の音楽ディレクターだった方なんです。それがご縁となって東芝EMIが抱えるレーベルのひとつ、Virginレーベルのインターンとして働くようになりました。

編集を志すきっかけとなった、東芝EMI発のフリーペーパー『VD Mag』

水島さん:当時(2000年代前半)は、カフェとフリーペーパーの文化が発展していた時期で、Virginレーベルでも『VD Mag』という、所属アーティストを紹介するフリーペーパーを作って、都内を中心としたカフェに配布する取り組みが始まりました。そこで私も『VD Mag』の制作側で参加させてもらったことをきっかけに、初めて編集者という道が見えたと思います。

──しかし、大学卒業後に入社したのは、デザイン会社であるディー・ディー・ウェーブ株式会社。どんな心境の変化があったんですか?

水島さん:在学中はレコード会社や音楽雑誌を発行する出版社への就職に向けて動いていたんですが、好きな音楽にどっぷり浸かれるけれど、どこかでそれは自分の奥行きとして広がらないんじゃないかという感覚が生じ始めてきて。ちょうどその頃に『+81(PLUS EIGHTY ONE)』という、主に海外のデザインとかアートを取り上げるバイリンガルの雑誌を知り、その媒体を制作しているディー・ディー・ウェーブに就職しました。そこから私の編集者人生が始まります。

入社して早々に創刊した『AM:ZERO』


──ディー・ディー・ウェーブでは、どんな仕事をしていたんですか?

水島さん:ディー・ディー・ウェーブは、CDのジャケットや映画の宣伝広告などのグラフィックデザインを主に手がける会社なのですが、並行して社長が自ら立ち上げた雑誌が+81でした。私はその+81編集部に所属し、+81を制作していました。

──編集スキルはフリーペーパー時代で培ったものが頼りだったかと思いますが、+81の制作を通じてどう身につけていったんでしょうか?

水島さん:編集部は社長の直下の部署だったことから上司がいないのでほぼ独学でした。企画から取材先へのオファー、編集、執筆まで、何から何まで全部やらせてもらえたことは今でも感謝しています。ただ、私にとって大きな転機になったのは、+81の姉妹誌の立ち上げを提案したことですね。

──新媒体の立ち上げは、入社してどれぐらいのタイミングですか?

水島さん:入社して早々……なので若さゆえですよね。+81は、海外のクリエイティブシーンやアーティストを紹介する雑誌ですが、学生時代にレコード会社で得られた経験を活かして日本向けの雑誌を作りたいと提案して企画が通ったんです。+81の編集・執筆をする傍らで『AM:ZERO』という、日本の音楽シーンや音楽に関わる人、日本の音楽をデザイン的観点から紹介するメディアを2002年11月に創刊しました。

『AM:ZERO』vol.02 表紙は音楽家の椎名林檎。巻頭ページで椎名林檎の音楽作品をデザインの観点から取材、紹介している。他にも小泉今日子、高野寛、浜崎貴司の音楽対談も。

──大きな成功体験につながりますね。

水島さん:そうですね。でも、この時は若さゆえのエネルギーと、無知ゆえの強さからできたことだったなと思います。だから、その後が大変でした。勢いで企画が通ってひとつの雑誌を立ち上げたとて、テキストを書く技術、入稿のやり方、印刷所とのやりとり……あらゆる粗が見えて、技術が伴ってないことがどんどんバレてしまう。それからは修行というか、コツコツと技術を磨くしかないと、粛々と編集の道を歩んでいきました。

──2009年にフリーランスに転身。独立後はどのように仕事を広げていったんでしょうか?

水島さん:ありがたいことに独立してから仕事を継続できているその要因の一つは、ディー・ディー・ウェーブ時代に下積みのような時間がなく、最初から全ての仕事を任せてもらったからこそ。そこで広がった外部とのつながりが、独立後もご縁になりました。あとは、編集者の友人から誘われて、マガジンハウスのお仕事に携わったのも大きかったですね。『relax』のカルチャーページを定例で担当させてもらいながら、『BRUTUS』など他の編集部からも声がかかるようになりました。

JAXA機関紙『JAXA’s』

──さまざまな媒体を手掛けるなか、2019年7月からJAXAの機関紙『JAXA’s』の企画、編集ディレクション、執筆を担当されています。それまでカルチャーの分野を得意とされていたことを踏まえると、科学はやや距離があるように感じます。自分の得意分野ではない、という感触はあったかと思いますが、不安はなかったですか?

水島さん:ありました。そもそもJAXAは国の機関なので『JAXA’s』も「企画競争入札」を経ての契約なんです。つまり競合他社さんがいて、そのなかから私が企画提案した案を採用いただいたという流れになるんですが、「こんな企画競争入札がありますが、よかったら出ませんか」と、ある日突然メールをいただかなければ、入札に参加することもなかったです。宇宙を追いかけている人間でもなければ、科学が好きなタイプでもなかったんですが……理屈じゃないところでワクワクできたので、これはなんとか入札に挑戦したいと思って。企画が通った時はとってもうれしかったです。


物事を抽象化すると、異なる事象がつながる


──フリーランスでは、さまざまな人とチームを組んで仕事をします。水島さんがチームで仕事をするときに、大切にしていることを教えてください。

水島さん:場を作ることや、チームが楽しく進められるようにプロデュースするのは編集者の役割ですが、チームのメンバーに一体感があるからいい仕事ができる、というよりも、いい仕事をするから結果的に一体感が生まれる方を信じているタイプです。なので、例えば親しいから、一緒に仕事をすることに慣れているからといった理由でお願いするという観点はないですね。取材でもよく対談企画を担うことがありますが、互いに初対面であったり、意外な組み合わせを提案することが多いです。基本的にアウェイな所に身を置きたいタイプなんですよね。

──予定調和ではなく、編集的思考で化学反応を楽しんでいる。

水島さん:もっと細かいことですが、業界の人が見れば「このつながりね」といった暗黙の了解になりがちな空気になる企画がすごく苦手。なので例えばですけど、芸術性で固められそうになれば、どこか通俗的ものを入れたくなります。大衆性や通俗性をすごく大事にしていて、その感覚のベースは、私がヴィジュアル系バンドを好きだった経験があるように思います。

──人生の振り幅が仕事の発想に生きているんですね。

水島さん:技術的な観点で話すと、編集は事象を「抽象化する仕事」でもあるんです。たとえば、理系出身でもない、サイエンス系の編集者でもない私がJAXAの機関紙の編集を続けてこれたのは、JAXAの研究者から出てくる具体的な固有名詞や概念を、一度抽象化して捉え直してきたことにあるように思います。どんどん抽象化することで他の分野とつながる瞬間がある。物事を抽象化したり具体化したり、スケールを変えて見る力は編集者には必要だと思います。

(つづく)
*中編では、編集の定義や仕事の向き合い方についてお聞きします。

▼中編はこちら

水島七恵(みずしま・ななえ)さん/編集者
ディー・ディー・ウェーブ株式会社に入社後、ヴィジュアルマガジン『+81(PLUS EIGHTY ONE)』編集・執筆、音楽とデザインのマガジン『AM:ZERO』の企画・編集・執筆を担当。2009年フリーランスに。 編集とは要素と要素のあいだをつなぐ技術と捉え、領域や媒体を問わず実践する。近年の主な仕事に機関紙『JAXA’s』、フリー冊子『tempo』など。
http://mninm.com/


編集のレッスン [第3期]のインタビューはこちら

前編

後編

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