アーバニストとしてまちと関わる ──for Citiesの石川由佳子さんと杉田真理子さんに訊く、コミュニケーションを生み出す「よそ者」の編集的視点 前編
*わたしが関わると、まちが変わる。「SPBS THE SCHOOL 編集のレッスン [第3期]」アーカイブ視聴コースの受講生を募集中です。
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まちのルールや空気によって、感情や関係性、豊かさの感じ方が変わる
──まず、お二人が都市に関心を持つようになったきっかけを教えてください。
杉田さん:私たちは二人とも幼い頃から海外のまちに住んだり、いろんな都市を訪ねたりすることが多かったので、都市の文化や構造の違いなどを比較する対象としてまちに興味を持ちました。まちに暮らしている人たちの人間模様を観察することも好きでしたね。
──いろんな都市の違いを観察していたんですね。
杉田さん:震災の影響も大きいです。東日本大震災があった時はすでに引っ越していましたが、私の生まれは仙台で、当時は家族や友人がそこに暮らしていました。震災後に被災地を訪ねて衝撃的だったのが、伊東豊雄さんの「みんなの家」というコミュニティスペースです。彼のような有名な建築家が作っているにもかかわらず、おじいさんがお茶を淹れたり、訪れた人たちがテーブルを囲んで談笑したりしているような素朴な場所でした。建築が好きだったので建築家になりたいという思いが強かったんですが、そこから建築のハードな側面よりも、その周りに広がっているコミュニティや場を使う側の体験といった広い視点に関心を持つようになりました。
──石川さんは、いかがでしょう?
石川さん:私は東京出身で、小4から中3までドイツに住んでいました。高校生の時に東京に帰ってから居づらさを感じて、都市空間に馴染めない自分がいました。自分は変わらないのに都市のルールや共有されている空気によって感情や関係性、場の使い方、豊かさの感じ方が変わるのは何故なのか。このような経験が、人々が作り出す現象や状況、そこで生まれる感情に興味を持つきっかけになりました。
──都市のルールや空気感の違いで、豊かさの感じ方が変わると実感されたんですね。
石川さん:もう一つの原風景となったのは、幼少期を過ごしていたプレイパークです。そこは「自由と責任」というルールのもと、自分で場の使い方や遊び方をクリエイトしていく公園です。都市での楽しみ方は自分でクリエイトできるものだというスタンスで生きていたので、日本に帰ってからルールの圧力、場を創造的に使えないしがらみに違和感を持ちました。「もっと遊ぶようにまちを使えるようにしていきたい!」「都市全体を自分たちのプレイグラウンドとして使うにはどうしたらいいだろう?」と考えた時から都市という単位に関心を持ち始めました。
──日本で感じた「居づらさ」や「しがらみ」は、具体的にどのようなところで感じていたんでしょうか?
石川さん:圧倒的に無言のルールが支配していると感じたんです。例えば、満員電車でみんな苦しそうに乗って過ごしている姿や、我慢して日々を生きているような雰囲気もそうですね。私が住んでいたドイツは目が合うと挨拶をしたり笑ったり、知らない人でも「敵ではない」というスタンスを示す関係性の作り方がありました。でも、日本でそれをすると無視されたり、舌打ちされたり……自分の態度は変わらないのに違うリアクションが返ってくる辛さは日々感じていましたね。
──杉田さんは、いかがでしょう?
杉田さん:幼少期に、突然好きだった山が半分削られて住宅街になっているなど、衝撃的な思いをした経験があります。いま私は京都に住んでいますが、好きだった建物が壊されてしまうこともありました。よく休憩していた場所、思い出がある場所が自分ではどうしようもないところで無碍に変わってしまう状況はとても悲しいですね。
for Citiesが考える「都市」と「アーバニスト」の定義
──都市の日常を豊かにするfor Citiesの活動は、「都市」と「アーバニスト」が重要なキーワードかと思います。お二人は、これらの定義をどのように考えていますか?
杉田さん:都市にも定義がたくさんあり、英語の「city」と日本語の「都市」でも異なりますし、国によってcity、town、villageの定義もさまざまです。でも、私たちは都市をサイズで考えていません。「地方都市や小さな田舎は、for Citiesの守備範囲ではないんですか?」とよく聞かれますが、そうようなことは全くありません。私たちは「人間の生活が集積している場所」と、ゆるやかに都市を捉えています。いろんな人間のドラマが集まっている「人間の巣」のような場所が都市だと考えています。
石川さん:都市を「情報の密度とそれらの接触可能性が高い場所」と捉えることも大切にしています。いろんな出来事や偶然が織り重なって接触の化学反応が起こり、面白い状況が生まれていく場所のようなイメージです。ここ数年、山梨県富士吉田市でお仕事をしていて、富士吉田市も行政区画や行政単位で見ると、いわゆる「地方」に分類されてしまいそうですが、私たちにとっては都市的状況が生まれている場所だと感じています。国内外から多様な人々が集まり、そこに持ち込まれた情報が集積して密度が濃くなることで、いろいろな現象が日々起きている様子は、まるで「都市」のようです。そのような場所に私たちは惹かれますね。
──まちの規模などではなく、都市的状況が起きているかどうか。では、「アーバニスト」はいかがでしょう?
杉田さん:アーバニストは、日本語では「都市計画をしている人」と訳されることが多かったのですが、最近その流れが変わってきています。東京大学・中島直人教授が『アーバニスト ─魅力ある都市の創生者たち』という本を出版されていますが、その中で「アーバニストというのは、都市を主体的に楽しむ人」と定義されています。
以前から私たちもアーバニストという言葉は似たような定義で使っていました。都市生活を楽しみ、まちに主体的に関わっているアーバニストには専門性は必要なく、必ずしも都市計画を行っている人でなくてもいい。例えば、パン屋さんで地元の食材を使いながら自分の店と地域を大切にしている人もアーバニストだと思いますし、いろんな分野の人を包括するという定義で使っています。
アーバニストになるために、軽く小さなことからまちと関わる
──いまの定義にも紐づいていますが「まちとの関わり」も大事な視点かと思います。まちと自分にはどのような関わり方の可能性があると考えていますか?
石川さん:先日、二人で「アーバニストになるためのA to Z」という項目を過剰書きで出していました。その一部は、以下のような内容です。
自分の家の玄関やバルコニーに、自分らしい何かを染み出させてみる
穴のなかや建物の隙間などに目を向けて、人間以外の生物を探してみる
買い物は、そのまちで作られたものやローカルのお店で
そのまちを舞台にした物語、小説や映画、ドラマなどがあれば見てみる
通ったことのない道はすべて制覇してみる
ひたすら歩く、もしくは自転車で滑走する など
杉田さん:まちで一番面白そうな人のところに行ってみる、お昼ご飯は行ったことのないお店で食べてみる……など、大層なことではないのが肝かなと思っています。従来のまちづくりは、商店街の組合に入ったり、移住者は骨を埋める覚悟を求められたりと関わり方に「重さ」を感じていて。まちづくりをする人が常にイベントを開催したり、自分で事業を立ち上げたりするのもいいんですけれど、アーバニストになるためには、もっと軽く、もっと小さなことからまちと関われると私たちは考えています。
──面白い観点ですね。このような小さなアクションなら、誰でもすぐに始められそうですね。
杉田さん:富士吉田市でプロジェクトをご一緒しているゲストハウス「SARUYA HOSTEL」代表の八木毅さんが話していたことで、for Citiesとしても共感した例え話があるのですが、私たちは自分の家だったら自分らしくデコレーションするじゃないですか。掃除をしたり、好きな場所にベッドを置いたり、お気に入りの装飾を壁に飾ってみたりしながら、自分が心地良いように家を整えるけれど、家から一歩出たらそれができない世界になるのは少しだけ不自然なように感じます。自分の家は掃除するのに、玄関から出たらその義務がなくなるのは不思議ですよね。
石川さん:禁止看板やルールでがんじがらめにするような場の使い方をしているケースもありますが、それらをもっと解きほぐしていきたいという気持ちも強いです。だから、日常の中でみんなができる些細なことを提示したり、「やっちゃっていいんだよ」と堂々と言ったり。足踏みしている人の後押しをするような活動をつくっていくイメージです。
──まさに、主体的に軽やかに、まちを楽しむ姿勢ですね。
杉田さん:都市は、いろんな人がさまざまな意図を持って暮らしている場所なので、誰でも何をやってもいいというわけではありません。でも、コミュニケーションがもっとスムーズになったら、これまで以上に楽しく都市を使えるはず。私たちは、「よそ者」の視点でそれを促していくような役割を担いたいと思っています。
(つづく)
▽ 後半はこちら
*後編では、「よそ者」として都市に介入するfor Citiesの仕事の向き合い方や「編集」の定義についてお聞きします。
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