誰もが批評を手に取ることができる文化をつくるために。【批評ワークショップ企画者インタビュー:前編】
これまでの批評が取りこぼしてきたもの
──加藤さんは昔から批評に触れていたのでしょうか。
加藤:学生の頃から、映画や演劇、漫画、アニメなどを対象としたものを中心に批評に触れていましたが、実は途中からあまり楽しめなくなって離れてしまった時期がありました。当時はいわゆる「ゼロ年代批評」と呼ばれるものの勢いが強かったのですが、そうした批評を中心として、当時の批評にどこか閉鎖的なムードを感じていたからだと思います。
例えば、西洋の思想家による批評的な視座や言葉を集めて、いかに複雑な読解や高尚な解釈ができるかを競い合うようなものが当時は勢いを持っていたように感じます。それは見方によってはある種のゲームのようなもので、そのゲームのルールを会得することに成功した人たちしか批評を扱うことができないという暗黙の了解が発生しているとも捉えることができます。なので、ゲームに馴染むことができない人やそもそも興味のない人たちは批評の土俵に立つことすら許されていないように感じられ、そのような排他性にモヤモヤしていました。
──あまりポジティブなイメージを批評に抱いていなかったようですが、そこからどのように講座の企画につながったんですか。
加藤:そうしたルールによって成り立っている批評のフィールドから離れた先には、その枠組みには収まらなかった人たちが多様な言葉と視点で作品を読み解くことを実践していました。
具体的には、フェミニズムやクィア・スタディーズ、社会福祉のようなマイノリティとされる人々の声を聞き、拾い上げるというもので、当時の自分はそれを批評ではない表現として受け取っていました。
しかし、『文藝』2023年春号の批評特集を読んだ際に、講座にもご登壇いただいている水上文さんや瀬戸夏子さんが、私が批評だと認識していなかったものについて、それも批評である、とはっきりと書いていました。
その文章を読んだ時に、批評に対する自分の視野の狭さを実感したと同時に、おふたりの言葉に可能性も感じました。批評の領域はもっと幅広くてもいいはずで、これまで一部の人たちだけしか扱うことが許されていなかったように感じられていた批評というものは、本当は誰もが身近なものとして手に取ることができるのではないか。これまでの批評の枠組みが取りこぼしてきたものに意識を向けることは、これからの批評文化を活性化させるのではないかと思い、講座の企画を考え始めました。
講座のキャッチコピーに込めた想い
──批評と感想の違いは、どこにあるのでしょうか。
加藤:ナビゲーターの水上さんは、批評とは「私はこう思った」で終わらせず、「私と他者や、私と社会がどうつながっているかを考えて書くことだ」と講座で度々おっしゃっていました。つまり、自分がどのような立ち位置から作品を見て、その関係性のさらに外側にある社会を捉えているのかまで言葉にすることだと。
今やSNSなどで作品の好き嫌いを語ることは当たり前になりましたが、それらと「批評」の違いは、やはり社会への見通しまでが語られているかどうかということなのだと思います。自分の好き嫌いが社会的な背景とどのようにつながっているかを考え、社会が抱えている問題を自分がどのように変えていきたいのか。
──そのような批評の捉え方は、過去にはなかったんですか。
加藤:そうですね。全くないというわけではありませんが、これまではあまり重要視されていなかったように思います。社会の一員としての自分が作品を見る視点よりも、あくまで批評的な歴史の流れやルールの上での「客観的」な視点から対象を捉えることが多く、それに加えて、自分が社会をどのように変えていきたいかというスケールまでは語らないことが当たり前とされていたように感じています。
このように、これまでの批評では主体の立場が語られず、作品と眼差しだけがあるような状態だったので、そこについてはしっかり向き合って、この講座が目指している「批評」とは区別していきたい課題でした。
──その問題意識は、講座の軸になりそうですね。
加藤:「あなたの言葉を聞き、わたしの言葉を書くために。」という講座のキャッチコピーを考える際にも、この考え方は大切にしていました。作品や自分という存在は絶対に社会とつながっていて、つまり他人とつながっているはずです。それを無視した状態で批評を書くことは難しいと思います。だからこそ自分の言葉を書こうと試みる前に、他人や社会のことをよく知った上で自分の感情や意志、そして立ち位置を認識することが大切だと思います。
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