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「書く」の手前にある「聞く」に意識を向けながら、これからの批評を考える。【批評ワークショップ企画者インタビュー:後編】

スマホを片手に、誰もが手軽にコンテンツの感想を読んだり書いたりできる時代に、社会や他者を知ることを通して、自分の言葉を身につけていく。そんな批評の可能性について考える連続講座『批評ワークショップ』。後編では、企画担当者・加藤雄大に講座の魅力やハイライトについて話を伺いました。

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あやふやな対話の効用

──ゲスト選定や講座の運営で意識したことはありましたか。

加藤:批評活動の最前線で活躍されているゲストの8名は、ナビゲーターの水上さんからアドバイスをいただきながら決めました。その中でも、クィア批評やフェミニズム批評の観点から研究を行ったり、ものを書いたりしている人たちをお呼びしたことは特に意識したところでもあります。昔から存在していたにもかかわらず「メインではない」「マジョリティではない」とラベリングされたものについて、改めて学ぶ機会が欲しかったからです。

「最前線で活躍している」とは、必ずしもそれぞれのゲストが批評に対して確固とした答えを持っているという意味ではありません。むしろ、時には立ち止まって悩むことを恐れず、それでも批評の可能性を広げていこうとする、そんな姿勢を指しています。

そのようなゲストの皆さんが講義の中で水上さんとお話しする際、第三者として対話を聞く参加者は、受け身で話を受け入れるだけではなく、聞きながら自分の意見や感想を想像することができます。

──明確な姿勢が示されないからこそですね。

加藤:批評の対象となる作品や社会的な問題を前にしたとき、反射的にその良し悪しを決定したり、自分や他者の立ち位置をわかりやすく判断したりすることを避け、それらの中にあるさまざまな立場性や感情を、丁寧に言葉を重ねながら検討していく時間でした。
 
わかりやすく判断を下すような強い言葉は、迷いや葛藤といったものが削ぎ落とされてしまうので、いろいろな可能性の存在を排除してしまうことにもつながります。途中や留保の状態で踏みとどまった話を聞くことで、多様な考え方への想像力を養うことができるので、全体を通して、ナビゲーターとゲストの対話を聞くことはとてもいい時間になったのではないかと思います。

──自分の言葉を書く前に誰かの言葉に耳を傾けるという批評のあり方は、時間がかかるという宿命を背負いますね。

加藤:そうですね。それでも、これまでの批評が無視してきたり排除してきたりした存在に心を寄せるためには、このような時間は必要だったように思います。


感覚のバラバラ感を前向きに捉える

──講座で特に印象に残った回はありますか。

加藤:どの回も充実しているのですが、ここでは3つ取り上げたいと思います。

1つ目は、第1回で瀬戸夏子さんをゲストにお招きした回です。先ほども少し話題に挙がりましたが、水上さんと瀬戸さんは『文藝』の批評特集号に責任編集として携わっています。なので、これまで何度か意見交換されてきた中で批評への前提の認識は共有されているはずですが、ある点について、講座では意見が明確に分かれていました。

同じような目線で話しているように見えて、言葉を交わしていくうちに、実は「自分の立場を表明することの難しさ」においては考え方が異なるということが対話を通して見えてきました。そしておふたりがその違いを対立として捉えるのではなく、そうした違いがお互いの批評の方法にどのように影響しているのかを言語化するきっかけとし、建設的に考えていく様子が印象的でした。あえて1つの答えに収束せず、感覚のバラバラ感を豊かなものとして感じられる時間でした。


批評ワークショップ 第2回の様子 (左)水上文さん (右)瀬戸夏子さん

2つ目は、第3回で韓日翻訳者の小山内園子さんをお招きした回です。小山内さんが翻訳したとある本について、読者から「怖い」という感想が多く寄せられたエピソードをお話いただきました。

小山内さんとしてはその「怖さ」がどういったものなのか、内実や背景について意見が交わされることを期待されていたそうなのですが、実際の反応はそういったところまで踏み込まれず、ただ「怖い」というところで立ち止まってしまうものが多かったそうです。

そのような感想を差し出すだけで終わってしまうと、同じような意見を持つ人たちとの共感しか得られず、「怖さ」を感じた人たちの中にもさまざまな立場の人が存在していることまで思い至りません。感想を述べるだけでは、自分とは違う立場や境遇にいる人たちを想像して理解することが難しくなってしまうのではないか、という問いが投げかけられました。

また、お話を聞く中で、小山内さんも作品を翻訳する際には、現代の韓国の社会状況や文化的背景を踏まえた上で作中人物を想像し、理解しようとする姿勢を持たれているのだということを感じました。物語である以上、いろいろな立場の人たちが登場してくるので、特定の人物に共感することは別の人物の存在を遠くに置いてしまう可能性が生じてきます。

物語としての多面的な豊かさを大切にするために、共感という同質的なつながりを目指すのではなく、たとえ同じ時代を生きている人であれ、それぞれに認識や考え方の違いがあることを前提に翻訳に取り組まれていることが見て取れ、そこに批評的な眼差しを感じました。

批評ワークショップ 第3回の様子 (左)水上文さん (右)小山内園子さん

──確かに、物語の内容が読者の共感できる範囲だけに収まってしまったら、究極的には作品を読む体験が確認作業のようなものになってしまうので、小山内さんの考え方はとても信頼できますね。

加藤:はい。小山内さんは批評を書く人ではありませんが、翻訳という行為にこのような批評的な姿勢を感じることができたことは、個人的にも大きな気づきでした。

最後に、第4回で文学研究者の岩川ありささんをお招きした回について紹介します。

この回の対話ワークのテーマは「自分がある作品に触れた時に感情が引き裂かれた経験を語る」というものでした。映画でも小説でも、全ての作品がどの視点から見ても完璧なものとして成立していることは滅多にありませんが、その前提を踏まえた上で、自分の中に前向きな感情と後ろ向きな感情の相反する2つが同居する状態を、ここでは「引き裂かれ」としています。

実際に岩川さんも当時引き裂かれを感じた作品について具体的に言及してくださいましたが、このような状態に直面した際、多くの人は負の感情の方に蓋をしてしまいがちです。しかし、そのようなジレンマと丁寧に向き合い、なぜこの部分をよいと思い、一方でこの部分には問題があると感じたのか。そこを言語化していくことは、単に正解を見つけたり自分が納得したりするためではなく、批評的な態度であると同時に自分や作品や社会に対してとても真摯な姿勢だと思いました。

──最後に、企画者としてこの講座をどのような人たちに届けたいですか。

加藤:この講座で学んでほしいことは、具体的な知識の獲得ではなく、答えがないことに対する向き合い方や考え方です。モヤモヤしていることや矛盾や葛藤という感情に対して、わかりやすくて端的な答えが目の前に現れると、思わずそこに飛びついてしまいそうになるけれど、その一歩手前で踏みとどまる。そして、そのような答えの外側にある、こぼれてしまうものや捨てられてしまうものにも想像力を働かせて、悩みながら考え続けていくことを試みる人たちに、この講座が届いてほしいです。


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