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敗者に光が当たるとき──忘れられない銀メダル

 勝ち方を身につけることは、簡単ではない。けれども、それよりはるかに難しいのは、負け方、負けの受け入れ方ではないだろうか。

 スポーツでも、選挙でも、勝敗がつくような戦いでは、勝てば達成感も得られるし、周囲からの祝福や称賛も受ける。勝つ者がいれば、必ずその反対側に、負ける者もいる。負けて悔しい目の前で、勝者が喜び、周囲が称える姿を見ることは、どんなにつらいことだろう。メディアが入る勝負ならばなおさらだ。負けて悔しい思いをしているときに、カメラを向けられてしまうのは、残酷なことだと思う。けれどもそこにこそ、その人の持つ人間性が表れて、時には勝ち際よりも深く心に残ることがある。

 私はスポーツ観戦が好きだ。フィギュアスケートや体操などの採点競技も、陸上競技や水泳のようなスピード競技も、チーム戦の球技も、1対1の対戦競技も、それぞれの真剣勝負は見ていてワクワクするし、すばらしい戦いの後は、選手たちがその試合にかけてきた長い年月を思うと、勝っても負けても、泣けてくる。特にアスリートたちが夢の頂点とするワールドカップやオリンピックは、選手たちがそこにかける熱量もひときわ高く、印象に残るシーンが多い。これまでに見たオリンピックやワールドカップでも、「私の中の名場面」はたくさんあるのだが、その中でもひとつ、ある選手の「負けの受け入れ方」で、忘れられない場面がある。

 それは、北京オリンピック女子レスリングの伊調千春選手が銀メダルとなったときのことだ。 

 彼女の妹は、前人未到のオリンピック4連覇を果たした伊調馨選手。姉妹揃って、女子レスリングがオリンピックの正式種目になる前から、いつかは一緒にオリンピックで金メダルを獲ろうと励まし合い、頑張ってきたのだそうだ。そのマイナー競技が、オリンピックという日のあたる舞台に上がることになったのは、北京の一つ前、アテネ大会からである。姉の千春選手は48kg級で銀メダル、妹の馨選手は63kgで金メダル。その時千春選手は、憮然とした表情で、金メダル以外欲しくない、と口にした。強くなるために早くから故郷を離れ、姉妹で支え合いながら戦ってきた千春選手。妹と一緒に金メダルを獲る約束を、自分だけが果たせなかった悔しさは、どれほどのものだったろう。対戦型競技では、銀メダルは唯一「負けて手にする」メダルである。金メダルは決勝の勝者が、銅メダルは、3位決定戦の勝者がもらうものだからだ。そのためか、対戦型競技の銀メダルは、悔しそうに受け取ったり、首からすぐはずしてしまったりと、見ている方もつらい気分になるようなシーンもたくさん目にするが、まさにそのときの千春選手はそうだった。

 そして4年後、北京オリンピックの舞台に、姉妹は再び揃って出場を果たす。そこで千春選手は、またも48kg級の決勝戦で敗退し、銀メダルとなった。

 試合が終わった直後、無表情といえるような顔つきで、千春選手はマットの周囲をぐるぐると一人で歩き回っていた。押し寄せる感情を必死でなだめているのか。2大会続けて、妹との約束を果たせなかった悔しさを抑え込もうとしているのか。この敗者にも、間も無くメディアは容赦なくカメラを向ける……。どきどきしながらテレビを見守っていた。

 果たしてカメラの前に立った千春選手は、先ほどまでの試合での険しい勝負師の表情とは打って変わって、晴々とした笑顔だった。そして、こんなコメントを放ったのだ。

「アテネからの4年、馨と一緒に歩んできた道は最高の道だったから。その道を歩んでこられたことが、私の誇りです。だからこのメダルも、(自分にとっては)金メダルだと」

 月桂冠を頭にのせて、銀メダルを高々と掲げた千春選手の笑顔は、最高にカッコ良かった。負けの認め方、受け入れ方は、その人の生き様を映し出すのだと思う。きっと千春選手は、自分にとっての金メダルにふさわしい日々を積み重ねてきたのだ。この姉の負けの受け入れ方は、その後の試合を控えた妹の馨選手にも大きな力を与えたに違いない。

 今年もまた、オリンピックが行われる。賞賛される勝者の結果以上に、私は敗者の物語にも耳を澄ませたい。

編集部 K