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本屋による食の講座に参加したら、おいしいの辞書がつくれちゃう?!【前編】

アシスタント受講生の吉永です。このnoteでは、現在開講中の講座「SPBS THE SCHOOL おいしいってなんだ?」全6回の講義についてレポートしていきます。これから受講を考えている方の参考になれば嬉しいです。よろしくお願いします!

 第1回は「旅する料理人」三上奈緒さんの講義。

 完全に盲点でした。おいしいを考えるためにまずいを考えてみる。子どものまずいを本当にまずいのではないかと真に受けてみる。鳥や虫の眼差しでおいしいを眺めてみる。「当たり前って当たり前じゃないかもよ?」そう投げかける三上さんのおいしいは世間の当たり前を軽々と飛び越えて、でもとても腑に落ちる感覚がありました。

 一番印象に残ったのは、まずかったものの話からの「食べもの自体の力が弱くなってきているのではないか? 食べても食べた気がしないから食べすぎてしまうのではないか?」という問いでした。

 実際、三上さんが野生の鹿肉を食べたときには1週間ほどお肉はいらないと感じたというし、イベントに参加した子どもたちは普段野菜嫌いでも三上さんの友人農家の無農薬野菜を喜んで食べるといいます。人間の管理しやすさや見た目を重視してつくられる食べものたち。他人軸のおいしいや添加物にまみれた偽おいしいの蔓延る社会。その中で本能ベースでからだが喜ぶおいしいを取り戻していくには、素材に力のあるシンプルなおいしいを体感し味わうのが一番なのかもしれない、そう感じました。でもそういう食べ物はどうしたら食べられるのだろう? その答えは第2回にヒントがありました。

 第2回は農学者の保田茂先生の講義。

 いなくなってから恋しがる、では遅いのだ。お米についての気づきです。有機農業を第一線で率いてきた保田先生が実感と熱量を込めて語る日本の現状は、わたしたちは何を食べていくのか? という問いかけと同義であると、はっとする瞬間がありました。三上さんが「全日本人に聞いてほしい」と言う通り、有機農業の重要性を地球規模でイメージできた納得の回でした。

 84歳の先生が今もパワフルに活動を続けるのは真っすぐに次世代の幸せと健康を願うからこそ。国内で農薬のいらない元気な野菜をつくり、国内で食べられれば、人にも環境にもやさしい。改良を重ねてきた製法でつくった野菜は水分含有量が低く、旨味が詰まっている。まずは食べに来て! と締めくくる先生は正に素材に力がある食べものを次世代につないでいるのでした。

 食べる営みの中でからだと心の健康が先にあって、それと社会をつなぐものとして「おいしい」があること。毎日続いていく食事は食文化や風景、未来の健やかなわたしたちとも地続きであること。大切な順序とつながりを改めて学べたことで、日々のごはんを食べる選択もまたひとつ想いがこもったものになりました。

 第3回は「世界の台所探検家」岡根谷美里さんの講義。

 浸透力半端ない。モンゴルからの中継では、講義中、お父さんも犬も馬も、自然と岡根谷さんに寄っていきます。現地に溶け込み、文脈を大切に台所を探検する岡根谷さんの溢れるコミュニケーション力を垣間見ることができました。そんな岡根谷さんだからこそ抽出できる、世界各地の臨場感たっぷりのおいしいのエピソードをフルコースのように味わえた回でした。

 中でも印象に残ったのは、ブータンの料理エマダツィのお話でした。エマダツィは唐辛子のチーズ煮で、農村で食べられているそれは唐辛子もチーズも自家製で目の前の風景から育まれるもの。それをおかずに自家製のごはんをもりもりと食べる。毎日同じようなメニューを繰り返す食卓でも実に納得感、充足感のあるおいしいを感じたのだそうです。辞書的なおいしいの外にある、地に足の着いたおいしいの情緒のようなものが浮かび上がった瞬間でした。そして、「つくるところから関わると、(レストランでただ料理を出されるよりも)おいしく感じる責任をもっている」。

 そう話す岡根谷さんの言葉にも深く頷いている自分がいました。


 おいしいを縦横無尽にやわらかな視点で見渡した前半3回。回を重ねるごとにおいしいのまわりの解像度が上がっていく感覚がありました。そしてこれからもっと食に、つくるところから関わってみたい。そう思っていた私にとって、そこには力のあるおいしいも、健やかで充足感のあるおいしいも重ねていける可能性がある、と力強く背中を押してもらったようでした。第4回~6回のフィールドワークの回も楽しみです!

【後編】はこちら↓

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*アーカイブ視聴コースは12月末まで受付

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