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待ち時間

こちらはSPBS編集部員による雑文連載コーナーです

家から坂の麓に降りてちょっとだけ歩いたところに、踏切がある。
 
これが本当に鬱陶しくて、踏切が一度下りてしまうと、必ず3、4本ぐらい連続で電車が来る。おまけに最後の1本に限って、ものすごく長くて遅い電車だったりするので、たちが悪い。
それでも、すぐ隣にある歩道橋を使うとなんだか負けた気持ちになるので、私はなるべく真っ向勝負をするようにしている。
 
高校生の頃、遅刻常習犯だった私は(今考えてみれば、8:20ホームルーム開始なんて早すぎて正気じゃない)ギリギリ間に合う時間に出た日に限ってこの踏切に捕まり、結局毎日8:23ぐらいに学校に着く電車に乗らざるを得なくなっていた。
 
大学に入って寮で暮らすようになり、長期休みに実家に帰るときも、朝に急ぐことがなくなったので、駅に向かう度、あえて余裕を持って踏切が上がるのを待つことを心がけている。その度に(どう、ちょっと大人になったでしょう?)、と心の中でドヤ顔をしているのだけれど、踏切の方はそこまで気にしていないのかもしれない。

一昨日、中高からの友達と久しぶりに会って、焼き鳥を食べた。
会おう、とわざわざ連絡をしないと会えない関係、というのはなんだかんだ一番、ほどよい距離感な気がする。何も努力せずに顔を合わせていた時に比べれば多少寂しさを伴うけれど、その方が会う時にうれしい。
 
そんなことを考えながら帰っていたら、おなじみの踏切に捕まってしまった。
まあのんびり待とう、と余裕ぶっていたら、なんと5本目の電車がゆっくりゆっくり通り過ぎ、警報器は鳴り続けている。まだ6月なのにすごく蒸し暑くて、立っているのが少しずつ嫌になってきた。
 
相変わらずいい性格の悪さをしてるなあ、と思いながら横を見ると、同じく捕まって進めずにいる、帰り道のサラリーマンや学生の12人ぐらいの集団ができていた。
電車3本目ぐらいから歩道橋を使う脱落者がぽろぽろと出ていたのだけれど、さすがに5本目まで来たら粘ってやろうと思ったのか、誰も動く気配がない。石ころを靴で転がし始めたり、スマホをいじったり、思い思いの暇つぶしをしながら、みんなただそこに立って待っている。
 
ちょうど夕焼けが見えていて、空を見上げている人も何人かいた。待つ時間にも美しさがある、的な出来すぎたメタファーで、少し笑ってしまった。

それにしても、いい空気感だな、と私は素直に思った。
各々の行き先に向かう中で、ただ偶然踏切が下がったから待っている間、空間を共有している。その意味のなさがなんとなく良かった。
 
踏切は、7本目の電車が通ってからようやく上がった。いつもより遮断機が上がるのが少しゆっくりに思えた。
 
その日の出来事一つで、踏切が“敵”であることは特に変わっていない。
それでも、蒸し暑い夕方に、踏切を相手に一緒に粘り抜いた人たちは、私と同じで少し楽しかったのかな、と思ったりする。

編集部インターン M.S.